栗巣字竹継地内にある
薬師堂内に以前から保管されていたものである。出土時期は不明であるが、この薬師堂付近が開墾されたとき出土したものと伝えられている。 昭和35年ごろまでは、長さ35.0p程度の大形石棒が薬師堂の横に立てられていたという。
御物石器 4点
全長 |
最大幅 |
後部最大高 |
文様 |
その他 |
29.5p |
7.5p |
11.0p |
無 |
末端欠損 |
33.5p |
8.5p |
13.5p |
有 |
Y形/三角形/円文/わらび手文 |
26.0p |
10.8p |
11.7p |
有 |
Y形/X形の彫文 |
27.0p |
8.0p |
11.0p |
有 |
文様左右対称で、八字形隆起線文 |
石冠 1点 長径6.0p、短径5.0p、高さ7.5p
石剣 2点 残存部11.5pと13.5p
石棒 1点 残存部14.0p
凹石 6点
長良川上流には、
縄文時代後・晩期の土器を出土する遺跡は非常にすくない。この時期気温の下降を示す資料が郡内
鍾乳洞から得られているので、人々は温暖な地域へ移動して行ったことが考えられる。またこの時期に山間の谷間などから
呪術的色彩をもつ、御物石器、石冠、石剣などが出現してくるという事実は、山間に残った数少ない人々が生き抜くための祈りに用いた道具ではないかと考えられている。今後研究を要する石器類である。