1.出土の経緯など
平成8年7月21日、
遠藤恒夫が
遠藤巌の依頼により同氏の旧屋敷跡地の墓地整備のため一帯を整地中、地表から約1mの地中から
甕に入った状態で出土した。甕は表土の下の赤土の層に、そこの部分には直径7〜8pの
玉石が敷かれて埋められていたという。古銭は
緡の状態で甕に収められていたという。しかし、作業は重機で行われていたので、気付いた時には甕は壊れ、古銭も甕と一緒にあたり一面に散らばってしまい、後から拾い集められた。
報告を受けた町教育委員会からの知らせにより、翌日町史編集委員が現地を見分した。
その後、土砂とともに散乱してしまった容器の甕を探したが、底部を中心に10数片を見つけたに止まり、口辺部は終に見つけることができなかった。
見つかった底部の破片をもとに復元図を作成した。瀬戸市の専門家の鑑定により、甕は室町時代に瀬戸で製作されたものであることが判った。
2.歴史的背景など
この出土銭は、大間見出土銭同様、最も新しいもので1433年初鋳の
明銭「
宣徳通宝」、さらに1461年初鋳の琉球銭「
世高通宝」があり、埋蔵は当然、この年代の若干後と考えられる。その当時は、東氏が山田の庄を支配していた時であり、また、遠藤家は、東氏に仕えた家臣であったと言い伝えられる家系であることから、この埋蔵古銭を東氏の関わりで捉えるのも興味のあることである。
関連資料→
【大和町出土中国古銭一覧】 大間見友久出土中国古銭